こんにちは、「Enter」です。
今日は、「適当に生きる」ということについて書いていこうと思います。
適当とは、程度などがほどよいことです。よく「テキトー」と勘違いされるのですが、似て非なるものです。「テキトー」の意味もありますが、テキトーはダメです。
適当とは?
- ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさわしいこと。また、そのさま。「工場の建設に適当な土地」「この仕事に適当する人材」
- 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を適当に加える」「一日の適当な仕事量」
- やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられる。「客を適当にあしらう」「適当な返事でごまかす」
引用:https://dictionary.goo.ne.jp/word/適当/ (goo 辞書)
適当に生きるというのは、実は難しいことです。超えすぎてもいけないし、足りなすぎてもいけない。
だから、本質をよく見極める必要があります。それをするには1~100までやってみる、極端なことを試していく必要があります。
だから最初は辛いです。ですが、後で楽できます。
力を入れるべきところが分かっているので、段々楽できるようになり、時間も当然短くなっていきます。
その時間を使って、また他のことをやって、色んなスキルを覚えることができます。
私は、何かを極めるには才能がありません。しかし、平均点より少し上を様々なことで出すことは得意です。
スポーツも、人ができるようなことはほぼできました。器用貧乏というやつですかね。
でも、それはある意味では何をやっても平均点以上を出せるということでもあるのである意味では強みになります。事実、マネージャー業が私の一つの強みになっています。
スペシャリストというよりもジェネラリストに近いです。そういう生き方が自分に合っているし、人も喜んでくれる。だからそのために頑張るようにしています。
普通を極めた人になる。そんな感じが良いのかなと思っています。
今日はここまで。
今回の記事はこれでおしまいです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた、お会いしましょう。
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