
はじめまして!
このブログの運営・管理をしています『Enter(エンター)』です。
「千葉県旭市」生まれのアラサーです。
このページでは
- 『私の略歴』
- 『私の考え方・趣味嗜好・性格』
- 『過去の私の経験・出来事』
- 『このブログの理念について』
について、順に話していきます。
私の略歴・日常
♦ 趣味は読書と学ぶこと。年間50〜60冊(週に1~2冊)*ほど読みます。昨年は55冊でした。速読はできません。*(日課で読む2周目以上の書籍は含まない)
元『未来屋書店』の書店員。
TVは5年前から全く見ていない(2021年現在)。
♦ 現在、『学びで人を幸せにする “生きる本棚” になること』を目指しています。
♦ 「学びで人を幸せにする」第一歩として、「学びで人を笑顔に」という思いでブログを設立。
正直で真っ直ぐな、ブログ運営を心がけています。
♦ 大学受験では独学で偏差値36.3UPの勉強法を確立。東京都にある4年制理系大学*に合格。
*(当時の偏差値で60前後。受験のお話は「過去の私の経験・出来事」でも話します。)
♦ 大学時代に参加したセミナー、勉強会の数は200*以上(週3〜4回を1年間継続)。
*(大学3年時に参加した総数、有料無料の両方を含む。人生で初めてセミナーに参加したのは18歳の時。参加費3万*の宮口公寿さんの10名限定「記憶術」セミナー。*(筆者記憶))
♦ 「365日」毎日欠かさず勉強、読書を続ける。魂の勉強家。
社会人になってからも「土日、GW、正月」関係なく継続しており、習慣となっている。(2021年現在、3年目を迎えます)
ベンチャー企業で、「広報、営業、人事、管理」の職種を経験

♦ 主に「広報イベントの企画・運営、営業、新人教育、少数チームのリーダー」などの業務を遂行してきた。(営業がダントツ苦手。営業成績はビリか、良くてブービー、1年で2回胃腸炎になった。あまりに辛くて軽い鬱状態になった。一時期病院に通ったりもした。私に向いていない職種第一位。ちなみに、得意なのは新人教育。)
♦ 知識研究家、思想家、アンソロジスト、本棚ライター、生きる本棚(サイト名でもあり、私を象徴するものでもあります。「私と共に成長する本棚」であるため、『生きる本棚』と名付けました。)。
♦ 2021年2月現在、日課として読んでる本は「老子・荘子、不動智神妙録
、弓と禅
」。それぞれ2周目。
私の考え方・思想

♦ 目指す人生(ライフスタイル)は、『業に生きる人生』。
——「心の内から出てくるどうしようもない思い、情熱、天命、業に動かされる人生」——です。
♦ モットーは、『自然体でいよう』。
「気張らず、急がず、そして欲張らず、ボーッと・・・少しずつ・・・。自然体でいること」が、自分にとって、最も自然で最善であると信じてます。(イメージは「急がば回れ」。みたいな感じです。)
♦ 自分で「変えられる余地・考える余地」があるものを面白いと思うタイプ。
完成品より、色々実験・試作してみるのが好き。
♦ 日々、気をつけていることは『分からないことは、わからないでいい』。
わからない自覚を持って、その上で学ぶことを大切にしています。(意地を張って何十回も失敗してきたので、「想像・イメージ・印象」で決めつけず、わからないことは学んでから考えることを大切にしています。)
学びは「古典・原典」を重要視

♦ 調べ物、学びをする時は「古典・原典」を重要視しています。
根源・大元になっているもの。一番最初に出てきたと思われる所。そこに本質があり、その本質が大切であると考えています。
♦ 「古い文献・古いもの」で学ぶのが好き。
「なんで何百年、何千年と残っているのだろうか?」という好奇心で、学んでいるのが面白い。そして、何より偉人の叡智は勉強になり、人の役に立てるから嬉しい。
♦ 「原理・理論・根源・仕組み」を調べたり、知るのが好き。
「光通信って何?仕組みは?電気通信より早いのはなんで?」みたいな日常生活から感じたマニアックな疑問や、「人はなんで、こんなに違う?」「感情や幸せとは、なんだ?」「そもそも、人間ってなんだ?」みたいなことを小学生くらいからずっと考えてます。
子供の頃から勉強もスポーツも「人並み」以下

♦ 部活では万年ベンチ(正確にはユニフォームさえ貰えなかった)。ある練習試合では、30人近くいる部員の中で唯一自分だけ出してもらえない、なんてこともありました。
また、大学受験では、1万人の中でビリになって、友人たちから笑われ、バカにされました。目標の大学を言ったら「え?お前が?笑」と言われました。笑って誤魔化す自分が嫌で情けなくて、仕方ありませんでした。(詳しくは「過去の私の経験・出来事」話します。)
私の唯一の取り柄

♦ 「コツコツ続けること」が唯一の取り柄。
高校時代は、年末年始に一人で部活の自主練していました。部活の友人には「バカじゃないの!?笑」と笑われました。しかし私にとっては、それくらいやらないと上達できなかったのです。
このコツコツ精神で努力を続け、部活では万年ベンチから「スタメン」に昇格。大学受験でも「偏差値30UP*」を実現できました。*(詳しくは「過去の私の経験・出来事」で話します)
♦ 人生哲学は『できないからこそ、長く努力する。10年、20年、30年でも。』『本質・基本を大切に。それを繰り返す』『人は皆違う。その人の価値観、個性が活きる方法は必ずある』
♦ 信念は『バカにされても、損しても、人のために生きることが正しい』。そう私は、信じています。
♦ 毎朝の習慣は『10分間の瞑想とストレッチ』
2021年現在、12年目(4015日越え)を迎えます。
(瞑想で、精神的に弱い自分を落ち着け、ストレッチで体をほぐすことによって、肩こり、腰痛の解消・予防をしています。さらに、この習慣を行うことで、集中するスイッチが入るので、大切な習慣となっています。)
私の好きな言葉

- 「温故知新。故きを温ねて新しきを知る」
[意訳]
ー古いものから学び、新しい知識・見解・発想を生み出すことが大切である。という意味ー
(孔子 - 約2500年前の中国の哲学者 -)
- 「心を放つを要とす」
[意訳]
ー物に心が止まらぬよう、使いこなした上で、放り出してしまう。それが大切です。という意味ー
(邵康節 - 約1000年前の中国の宋の哲学者 -)
- 「退転せざるをそなえよ」
[意訳]
ー修行を怠り悪い方へ逆戻りしたり、志を曲げて屈したり、しない。途中で投げ出したりしない、そんな心を持て。という意味ー
(中峯 - 約700年前の中国の禅師 -)
- 「禍福は門なし。唯だ人の召く所なり」
[意訳]
ー”幸福や不幸が通る門(運命)” など、存在しない。ただ人の行いによって幸福、不幸が決まるのだ。という意味ー
(襄公 - 約2600年前の中国 春秋 時代の宋の君主 -)
私の性格

♦ 交流も好きだけど、一人の時間も欲しいタイプ。
♦ 「気に入った物、質がいい物」を長く大事に使うタイプ。
財布は、11年同じもので、じいちゃんの形見。他にも、16年前に買った扇子をいまだに持ってる。(小さい頃、京都で買ったもの、値段は3000円。(大事にしすぎてあまり使っていなかったが、ここ2年くらいはちゃんと使っている。)
♦ 人から言われる性格は「クソ真面目」「バカ正直」「不器用」。
(これはつまり、バカってことか・・・・・・?(汗))。
私の性格を漫画のキャラで例えると『八軒』
♦ 自分の性格を漫画のキャラで例えると「銀の匙の八軒 勇吾」(馬みたいな性格。臆病。いろんな事を深く考えすぎてよく悩む。副部長もやってた)
♦ 好きな漫画トップ10は、1.『キングダム』2.『四月は君の嘘
』3.『暗殺教室
』4.『かぐや様は告らせたい
』5.『俺物語
』6.『転生したらスライムだった件
』7.『僕らはみんな河合荘
』8.『鬼灯の冷徹
』9.『恋は雨上がりのように
』10.『宇宙兄弟
』。(成人するまで漫画を買ったことが無いので、最近の漫画しか知らない)
♦ 好きなアニメは、『舟を編む』(「辞書作り」を描いた作品[Wiki])。「紙の”めくり具合”がダメ」「言葉を大切にする描写」が、特に私の琴線に触れるシーンです。暖かく、でも静かに感情を熱くさせてくれる。そんなところが好きです。(EDもいい)

♦ 苦手な作品ジャンルは、『ホラー、グロ、うつ系』。
ホラーはマジで見れない。小学生の時、金曜ロードショーで『リング』を見て、怖すぎて夜に寝れなくなる。あまりに怖くなって、大泣きした。
グロ・うつ系は、気持ち悪くなってしまうので見れない。医療系の仕事には、適性がないとつくづく思う。
♦ 小学生時代、ハマったゲームは、『ファイナルファンタジーX』『キングダム ハーツ(PS2の第一作目)』。どちらもプレイ時間は、200時間以上。親に怒られる危険があるとわかっていても、我慢できずに、ブラウン管テレビにイヤホン刺して、深夜までやっていました。
しかし、当時「木造, 6畳×2部屋の2LDKアパート」だったので、「薄い壁」一枚隔てた先に「両親の部屋」があり、コントローラーのカチカチ音が聞こえて、何度も見つかってしまうハメに・・・・・・。
「趣があるもの」が好き
♦ 「古くて趣あるもの」が好き。
日本庭園を見ながら、1時間くらい「ボー・・・・・・」っとしているのが物凄く好きです。
大学生の時、京都旅行に行ったとき、枯山水や、庭園を見ながら「ボー・・・・・・」っとしていたら、彼女に怒られました。価値観はの一致は大事ですね。
公園や河原で読書するのも好きですが、最近はあまりできていません。風を感じながらゆっくりできる日が来ることを願っています。
女友達には、よく「おじいちゃんみたい」と言われます。ウィンドウショッピングをすると「後ろで手を組んで歩く姿」からも、おじいちゃんっぽい、らしい・・・。
こんな、感じで基本性格は『田中くんはいつもけだるげ』の田中くんのような感じです。

服は機能性を重視するタイプ
♦ 好きな服のブランドは『パタゴニア』『ノースフェイス
』『Levi’s
』『New Balance
』。
服は機能性を重視。
素材から調べ、実店舗に行き、試着します。着心地の良さ、軽量性を確認。更にブランド愛に溢れた店員さんを見つけ、話し込みます。「透湿性、撥水性、耐久性、保温性」を質問し、信用できる店員さんから気持ちよく買うのが好きです。
2021年現在、4年目を迎える愛用のパタゴニア製のジャケット(クラウド・リッジ)は、東京で購入。東京都内のパタゴニア直営店すべて(8店舗)を2日かけて自転車で回って、購入したお気に入り。
高くとも、耐久性にも優れるアウトドア製品は長く使えるのでオススメです。長く使っても品質が落ちにくいので、結果的に安い買い物となっていることも多い。経済的な面でも、価値のある至高の逸品たちです。
♦ 好きな食べ物は「タコライス」、「チキン南蛮」。
♦ 嫌いな食べ物は「イチゴ」、「きのこ類」。
♦ 苦手なタイプの人は「ウェイ系人類」、「バリバリ営業パーソン系人類」。(「ま、まぶしい(*_*)」という感じです)
2021年某日

過去の私の経験・出来事
さて、ここまで「私の略歴や人格、性格」について話してきました。私という人間が、「どんな人なのか」、イメージする助けになっていれば幸いです。
『私の略歴』✔『私の趣味嗜好・人格・性格』✔- 『過去の私の経験・出来事』
- 『このブログの理念について』
次は、【過去の私の経験・出来事】を話していこうと思います。先程よりも長い話になりますが、お付き合いください。
高校卒業時の偏差値は23.7
入学した高校は「偏差値30代、いわゆる “誰でも入れる高校” 」です。
私の高校での「大学の一般 “受験” 率」は「2%*」です。 “合格” 率ではなく、 “受験” 率が「2%」なので、合格率はさらに低いです。残りの98%の人は就職, 専門学校, 推薦などです。
私も推薦が欲しかったですが、よく学校をサボっていたので仕方なく一般受験しました。そして、全滅しました。その後、浪人して最初に受けた4月の模試では「300点満点で、40点(数学, 英語, 物理)」。「偏差値23.7」でした。
当然です。高校卒業まで、全く勉強したことがない落ちこぼれだったのですから。
テストで「0点」取るのが当たり前の学生時代
もう少し小さい頃の私の話をしましょう。
小学生の時は、テストで赤点を取るのが当たり前。0点を取ることも珍しくなかったです。むしろ、テストを受けていない。なんてこともよくあって、居残りで放課後にやったり、皆が掃除の時間にやらされたりしてました。それくらい私はバカで、勉強をやる気もゼロでした。
私は不思議でした。
「なんで学校に行くのか?」「なんで勉強するのか?」
その疑問に答えてくれる大人は周りにいませんでした。疑問を投げかけると返ってくる答えは決まっています。「将来のため」「あなたのため」。「僕がやるかどうか決めてはいけないの?」と聞き返すと大体返答は3パターンです。
- 圧力系:「いいからやりなさい」
- リスク刺激系:「あとで後悔しても遅いわよ」
- 諭す系:「将来やっといてよかったと思うから」
という感じです。正直、誤魔化されている感じがしました。どんなに聞いても納得いかないままで、それ以上教えてくれませんでした。
なので、私は学校に行く意味を感じず、あまり学校にも行っていなかった。というわけです。だから、勉強ができないのは当然の結果です。というより、「授業を受けていなかった」という方が正しいでしょう。
よく分からないからやらない。やりたいこと、楽しいことを見つけるために動くわけでもない。そんな、無気力でひねくれた小学生でした。
なぜ、そんなひねくれ無気力少年になってしまったのか。その理由としては、家庭環境が悪く、落ち着ける居場所が無かったことが一つの要因かなと思います。
父親は暴君。3日に1回は怒号が聞こえる
私の父親は、3日に1回は怒鳴り散らし、1ヶ月に一回は机をひっくり返したり、物を投げたりする父親でした。そんな父親の暴君ぶりに嫌気がさしていました。
内心はいつも、「クソオヤジめ!だまれ!」と思っていました。しかし、怖くていつも何も言えませんでした。
そんな家庭環境だったので、自宅に安らぎはありません。ストレスがたまり、眠るのはいつも深夜0時過ぎ。その時間になると、家族が皆眠るので、やっと落ち着けたのです。
また、先程も話した通り「なぜ学校に行くのか」。その意味が分かりませんでした。ですので、学校は、1週間に1回はズル休みして、1時限目の授業から出ることは、ほぼ皆無といっていいほどの出席率でした。
「帰りの会(1日の全授業終了後のホームルーム)」に登校したことも何度かあります。
当時の私は、無気力で「家にいたくない、学校もめんどくさい」。やさぐれた気持ちで、解決策も見出せないまま漠然と過ごしていました。
何もない千葉の片田舎が、大嫌いだった
私が育った千葉の片田舎は、畑だらけで何もありませんでした。3階以上の建物なんてそうありません。「小さい子供が入ってはいけない」と言われるような、いかがわしいお店の雑居ビルが、チラホラあるくらいです。
田舎は土地が余ってるので、平たい家が多く、お金持ちの家なんかは「バカデカい」です。夜は22時くらいから静かになり始め、街頭が100mに1本あるかどうかなので、異様に暗い。東京の新宿・渋谷なんかとは大違いです。
歩道も整備されてないので、車道と歩道の間に白線があるだけなんてのも多い。

また、ちゃんと舗装されてないのでコンクリートが「ヒビだらけ」なんてのも当たり前です。都会じゃほとんど見られないですよね。でもそんなところばかりです。自転車で走ると振動で大変です。自転車に乗りながらジュースを飲むのもできません。(舗装されてる所でもやってはいけませんが)

通学路は畑くさいです。肥料か糞の臭いでしょうか。とにかく臭い。大体、いつも同じところで匂ってくる、あの独特の匂いを嗅ぐと学生時代を思い出します。
春になると風が強くなるので、畑の砂が道路や歩道に舞い散り、ランドセルや耳や口に砂が入ってきます。だから、登下校の度に、室内に入る前に「砂を落とす作業」をします。
「鬱陶しくてしょうがない!俺は絶対にこの田舎から出てやる!」といつも思ってました。
とはいえ、現実は落ちこぼれ、取柄も特にない、かといって努力もしたくない。そんな少年が何かのプランを持っているわけもなく、漠然と過ごしていました。
無気力少年にも「夢」ができた
落ちこぼれで、努力も嫌いな無気力少年の私は中学校に入っても変わりませんでした。同じように「学校にも行かず、家にもいたくない」。そんな中途半端な生活を続けていました。
しかし、中学3年生になる頃には「変わらなければいけない」と思うようになりました。そして、その時TVで見た映画に影響されて「私もいい大学に入って、東京に行けば変われる!」と思うようになりました。
そして、その時から私は「いい大学に入って、東京に行きたい!」という夢ができました。
「いい大学に入って、東京に行けば何かが変わる!きっと成功できる!幸せになれる!」当時の私は、そんな漠然とした思いを信じて疑いませんでした。
「いい大学」の定義もよくわからず、とにかく「いい大学に入って東京に行く!」具体的には何一つとして、わかっていませんでした。しかし、夢は両手いっぱいに持っていました。
人生初の試練「高校受験」
両手いっぱいに夢を持った私は、「高校受験」という試練に、果敢に挑みました。無気力少年が挑む人生始めての試練です。
「いい大学」にいくために、まずは「いい高校」に行こうと思ったのです。
私は、合格する自信だけは人一倍持っていました。もちろん勉強はできません。だからといって、ほとんど勉強もませんでした。しかし、自信は人一倍ありました。

ドラマや映画の見すぎで、自分はやればできる天才だと勘違いしていた、いわゆる中二病に罹患していたのだと思います。夢で勝てると思っていたのです。今となっては、黒歴史以外のなにものでもありません。本当にお恥ずかしい限りです。
しかし、当時の私にとってはそれが真実で、それが現実で起こり得るものだと信じて疑いませんでした。
高校受験の合格発表の日
知力をどっかに置いて、夢だけを持って、私は受験に挑みました。
それから何週間か過ぎ、合格発表の日がやってきます。
合格発表は、友人の「鈴木くん」(小学1年生からずっと同じクラスの友人)と自転車で見に行きました。試験当日も一緒に受験した仲の良い友人です。
道中は、「どうかなー?受かってるかな?」「部活どうする?」なんて話をしながら、高校まで自転車で30分の道のりを緊張しつつも、ワクワクしながら、走っていました。
高校に到着し、自転車を止め、30mほど先に見える合格発表の掲示板に二人で歩いていきます。受験番号は「鈴木くんが147番、私が148番」。人をかき分け130番台、140番台を見つけ、目線を上下左右に動かしながら自分の番号を探します・・・・・・。
結果は、鈴木くん「合格」。私は「不合格」。
気まずい空気が流れます。鈴木くんは合格者用の資料を受け取りに行きます。戻ってきても、気まずい空気が続きます。私は、「まぁしょうがないな!」なんて言いながら、カラ元気でなんとか帰りの30分をやり過ごしました。
こうして「夢だけ持っていれば、勝てる(合格できる)」。奇跡なんて現実では起きない。そんな当たり前の現実を私は思い知らさせるのでした。
人生、一度目の失敗です。
高校では心機一転
進学した高校は、名前を書けば誰でも入れるような偏差値30代のところです。しかし、高校では心を入れ替えて「夢のために頑張ろう」と決意しました。
「高校受験は失敗したが、次こそは真面目に勉強もやって、いい大学に入って、東京に行くんだ!」
しかし、最初の1ヶ月ですぐに挫折しました。中学校までのサボり癖と勉強の遅れが、どうしようも無かったのです。すぐには変われませんでした。
そして、中学と同じように自堕落で、なんとなく過ごす日々に戻っていきました。「人はそう簡単には変わらない」。ということを実感しました。梅雨も始まりかけた高校1年の5月のことでした。
ここからは、なんとなく過ごし続ける高校生活の始まりです。休み時間はお笑い芸人の「トータルテンボス」の動画を見たり、サッカーゲームの「ウイニングイレブン(通称”ウイイレ”)」の話をしました。彼女もできず、「あの子とあいつが付き合っている」だの他愛ない話をしては、笑って、茶化して・・・・・どこか物足りないと思いながらも、楽しい生活を過ごしていました。
人生2度目の試練「大学受験」
そして、すぐに次の試練はやってきます。大学受験です。大学受験は失敗したくないと思っていました。「もう高校受験のように失敗しないぞ!」と意気込みだけは日本一でした。
高校受験まで全く勉強してこなかった人が、たった7ヶ月で「早稲田大学や慶應義塾大学*」といった有名大学に合格するなどありえるのでしょうか?*(当時の私の中での「いい大学」)
当然、無理です。99.9%の人は落ちるでしょう。
こうして、意気込みだけは「日本一」の高校生(わたし)は大学受験も失敗しました。
人生、二度目の失敗です。
「いい大学」に入るために
嫌いな勉強をやらなければ、いい大学に入れない。だから仕方なく勉強しました
往生際の悪さだけは昔からあったので、意地と根性で勉強を続けました。
最初の数ヶ月は全く伸びなくて、成績は通っていた予備校のクラスでビリでした。模試で「数学3点、英語8点」を取ったこともあります。この時、受験者は1万人でしたが、私は全国でビリでした。
模試でビリなど聞いたこともありません。その時の恥ずかしさ、情けなさ、模試の結果を見せた時のゲラゲラ爆笑する3人の友人たち、不甲斐なさ、悔しさ、これら全てを含んだ負の感情は、今でも鮮明に私の中に残っています。
予備校の授業にも全くついていけず、3ヶ月立つ頃には、ほとんど予備校に行かなくなり、半年で辞めてしまいました。3ヶ月くらいは家で自暴自棄になっていました。
数々の失敗を乗り越えた先にあったもの
しかし、「いい大学に入って、東京に行きたい!」
そんな漠然とした思いだけは消えずに残っていました。それから、もう一度頑張ろうと思い、独学での勉強法を実践していくことにしました。小学校から勉強していなかった私は、基礎が全くできていませんでした。
なので独学での勉強法が合っていました。それから毎日、「起きたら勉強、寝る。」という生活を続け、何とか東京都にある4年制理系大学*に合格しました。*(当時の偏差値で60前後)
そこで、いろんな自分の弱い部分と向き合いつつ、克服し成長した経験。勉強はやってこなかっただけで、やってみると悪くない。そんな教訓を学べたのは大きな収穫でした。
また、後に1万人でビリを取った時に笑われた友人たちからは、「まさか〇〇大学にお前が受かるとは思わなかった」と驚かれました。してやったりです。「やり返してやった!」と自分が誇らしかったです!
しかし、同時に「予備校をやめてから心配してた。受かって良かったな。」
と言われた時、思わず後ろを向き、涙をこらえました。その時、またあの時と同じように笑われましたが嫌悪感はありませんでした。私は自分を恥じ、友人たちやそれまで、支えてくれた両親に感謝しました。
「ありがとう」
「本当にありがとう」
この経験が、私に「勉強することの大切さ」を教えてくれました。そして私の人生観を大きく変えた貴重な成功体験です。
(参考:独学での偏差値UP法についての気になる場合はコチラの記事から→『【大学受験】こうして私は独学で偏差値を30アップしました』)
しばしの休息
長い受験生活が2月に終わり、入学までの2ヶ月ほどは、とにかく家でゆっくりしていました。大学に入ったら「夢を見つけるために頑張ろう!それまでは、しばしの休息を取ろう。」
そうして、大学生になりました。
憧れの大学に入った私を待っていたもの
大学に入った私は愕然としました。
大学の授業はアカデミックな話や理論ばかりで、私が思い描いていた実験の日々や、実習の日々ではなかったのです。
理系の大学に入れば、実習やら実験やらで実践的な知識と経験を積み、研究開発ができるようになる人材に育つと勝手に想像してました。自分がやりたい実験や制作活動を学びながらできるというのは、幻想だったのです。
実験は3年生からがメインで、仮に3年生になっても私が想定したような実験は全く無いことがわかりました。私がやりたい実験や制作活動ができるのは最低でも4年生の卒業研究からで、それまでは学びたくもない、大学が決めた必修単位を取り続けなければいけない。そんな生活だったのです。
あれだけ憧れていた大学に絶望
私は、あれだけ憧れていた大学に絶望しました。
6月になる頃には授業をサボり始め、サークルや飲み会で遊び呆ける日々を送りました。入学した時は、頑張ろうと意気込んでいたものの、6月にはどうでもよくなってしまったのです。
そして、目的もなくただ遊び呆けました。授業はできる限りサボり、テストとレポートだけ少し頑張る。頑張るのは単位を取るため。単位を取って進級するためです。それだけのためです。正直、授業は「クソつまらない」ものばかりでした。
そして、あっという間に2年が過ぎ、私は3年生になっていました。そして、就職活動に伴い、入学時の思いやらを思い出しました。そして何もしてこなかったこの2年間を悔いました。
なぜなら、その時の自分は「クズ人間」と化していたからです。
授業はサボる、そのくせ友達にノート見せてくれ、過去問くれ、勉強教えてくれ。いわゆる「くれくれ星人」です。私は自分を恥じました。せっかく入学するまでに頑張ったのに自分は一体、何をしているんだと。。。
人生3度目の正直
明らかに入学時よりも「劣っている人間」になり下がった自分を私は許せませんでした。
「せっかく、高校受験、大学受験と失敗して、いい大学に入れたのに、おれは何をやっているんだ!」
自分を責めました。
そして、私は「変わること」を胸に誓い、勉強を開始しました。人として成長していくために。
まず、思いついたのは自己啓発系の本を読むことですが、読書嫌いな私は徹底して本を避けました。本以外で学べる方法は思いつく限り、試しました。
- 勉強会やセミナーに参加(有料、無料問わず)
- 社会人もいる会員制有料コミュニティ、サロンへの参加
- 動画教材、オンライン学習
- ネットサーフィンでの情報収集(ネット上の記事なら短いので読めるということで、移動時間に読んで勉強してました。)
- 魅力的な活動をしている同世代の学生に直接メッセージを送って、活動に至った経緯や失敗談、成功譚、ノウハウ、哲学などの話を自分の行動の指針の参考にさせてもらった。100人くらい会いました。「同世代でこんなに違うか!」と思う人も多数。
- FacebookやTwitterで経営者、企業人に「会ってくれませんか?」とメッセージを送ってみる。(意外と会ってくれる。著名人も送ってみた。相手は心理学の有名な先生(TV出演, 著書も多数)。友達申請とメッセージを送ったが返事は無かった。)
思いつくものを片っ端からやりました。
余談ですが、本嫌いの私がこの頃までに、読んだ本は9冊(『あひるの空 1巻』『世紀末リーダー伝たけし! 20巻』『SLAM DANK 18〜24巻』)。実用書や文学、ビジネス書や自己啓発書など、一度も読んだことがない。この9冊も友達の家で「漫画を読もう」となったので、仕方なく読んだもの。苦痛を我慢し読んだのを鮮明に覚えています。「ゲームがしたい」とは言い出せなかった。臆病な自分を悔いた思い出です。
意味がない勉強
色々と参加していくうちに、行動しないと意味がないということに気付き始めました。
大学受験時代も有名な参考書や分厚い参考書(フォレスト、チャート式数学)を何冊も買って満足したり、「予備校に行っていれば大丈夫」と自分に言い聞かせてました。しかし「できたつもり」になることでは、意味がないことを思い出したのです。
(参考:独学の偏差値UP法についてのお話はコチラの記事から→『【大学受験】こうして私は独学で偏差値を30アップしました』)
そこで、勉強と並行して行動することにしました。
具体的には、学生団体を自分で作ったり、イベントを主催してみました。
活動期間は約1年半。企画・集客・運営をすべて自分たちで行い、11回のイベントを開催し、述べ210名*ほど参加して頂きました。
*(一番成功したイベントは、スポーツイベントで参加者100名。一番失敗したイベントは、企業の方に協力してもらったセミナーイベントで参加者2名(冷や汗が止まりませんでした)。二番目に失敗したイベントは、レジャーイベントで参加者3名(内2名は友達)。)
数々の失敗を経て、今がある
このような経験を経て、今の私があります。
今のアラサーの私を形作っているのは学生時代の失敗と成功の経験です。そして、この経験を活かして、社会に貢献できる社会人となるために今現在(2021年3月)も、邁進中のEnter(エンター)です。
(参考:失敗も多い。コチラは失敗のいい例→「人を救うには力がいる【私の備忘録】」)
今はまだ微力ですが、3年後、5年後にもっと大きな貢献をできる社会人でありたいと考えています。
そのために、自分にできる貢献の1つとしてブログを設立しようと決めました。
ブログ設立の思い「知恵の大切さ」
私は、経験や知識は「 “知恵” に昇華する」ことが大切であり、 “知恵” となることで、はじめて意味を成すものだと考えています。
飽きたり怠けたりせず、学び、改善してきたなかで得た経験、知識を「日常や人生で使える “知恵” 」に昇華すること。
そのために「知識を学び、実践する」。
それが、人生で大切であると、私は考えています。
だから私は、ブログをとおして「知識、知恵」を発信することでその一助となること。一人でも多くの人に貢献すること。
そういった目的を実現するために、このブログを設立しました。
このブログの理念について
さて、ここまで「過去の私の経験・出来事」について話してきました。私という人間が、「どのような人間で、今までどのような経験を経て今があるのか」、「人柄や性格」をイメージする助けになっていれば幸いです。
『私の略歴』✔『私の趣味嗜好・人格・性格』✔『過去の私の経験・出来事』✔- 『このブログの理念について』
残るはあと一つ、【このブログの理念について】を話していこうと思います。
「学びで人を笑顔に」
このブログは「学びで人を笑顔に」という理念の元に設立しました。
私は人が笑う姿が好きで怒っている人がいれば何とかして、なだめるて笑顔にするのが得意です。
褒め殺しも得意で、
「おとなしい人」なら褒め殺して自信家に、
「見た目チャラいけど実は、良い奴」なら褒め殺して周りの誤解を解いて、ただの良い奴にしてやります。
最近は、「褒め殺しが一番の特技かも知れない…」と思っている「Enter(エンター)」です。
私は人の笑顔を見るのが好き
笑顔にするためなら、どんなことでもします!
それくらい私は、人の笑顔が好きです。見るのがとにかく好きなんです。だから、人の暗い顔を見ているのは辛いです。人を暗い顔にさせるようなやつは大嫌いです。
家庭環境が良くなかったこともあり、幼少期の頃から、楽しく、面白く生きることを探求し続けてきました。そして、私自身が幸せを感じるのは「人の笑顔を見た時、作り出せた時」だと知りました。
だから、周りの人がより楽しく、より面白く、より幸せに生きるにはどうすべきか常に探求しています。なぜなら、私がその笑顔を見たいからです。笑顔を見ること、笑顔にすることが私の幸せだからです。
私の強み・特徴
私は、よく相談を受けてきました。
話は変わりますが、なぜか私は相談されることが多い少年でした。誰かの相談を受けない時期が1年開くことは、ほぼ無かったような気がします。
内容は様々ですが、「恋愛や仕事、家族との問題、職場環境」といった「人間関係」の問題で相談されることが多かったです。友人や同僚はもちろん、後輩、先輩問わず様々な人から相談を受けてきました。
2~3人に同時に相談を受けているなんてこともあり、テスト前日にも関わらず深夜まで長電話して、翌日の勉強を全くできていない、なんてことも何度あったか分かりません。(カッコつけて相談相手には「ダイジョブ!」と言ってしまう性格は今でも、反省すべき点です)
すべてがすべて、円満な解決に至ったとは、正直言えません。ぐちゃぐちゃになってしまったものもあります。幼稚園から大学まで同じ学校の20年来の友人とのトラブル、自傷行為、近親相姦といった、非常に繊細で難しい相談もありました。私の力だけでは、解決不可能だと思ったものもあります。
私は落ち込んだ人を放っておけない
しかし、私は笑顔を失った人を放っておけませんでした。
だから一生懸命、誠心誠意、問題の解決に尽力しました。相談期間が3ヶ月、半年くらいかかるのは当たり前です。それくらい人間関係は慎重に、進める必要があるからです。1年以上になったものもあります。
そして、そんな気持ちが伝わなかったのか相談を受ける中で「ある言葉」をよく言われることに気付きました。
それは「人に始めて言いました」という言葉です。
何が原因で、どうしてそんな重大な問題を私に伝えてくれたのだろうと今でもよく分かりません。
私は、ただ目の前の落ち込んでいる人を笑顔にしたかっただけです。
「なんとかして、この問題を解決して、もう一度心から笑うこいつの笑顔が見たい!」
そんな風に思いながら、何時間でも何十時間でも真剣に話を聞き、あらゆる可能性を一緒に検討し、議論を交わし、時には甘えを叱責し、問題を解決していきました。
平凡な私が、人生相談を受ける理由
なぜ、平凡な千葉の片田舎に生まれた私が人間関係の問題について、答えられたのか、相談を受けてきたのか。
それはおそらく、私自身が幼少期に両親の不仲、家庭内での暴力や居心地の悪さ、中高でのイジメられた体験があったからだと思います。
(参考:イジメや人間関係に関する奮闘記は、ここでは詳細に触れませんが気になる場合はコチラの記事を参考にどうぞ→『人間関係には努力で超えられない壁がある。〜学生時代に受けたイジメからの体験談〜』)
誰よりも「人間関係」に関しての問題に向き合い続けなければいけない環境であったこと、解決しな書ければ自分の身が危うかったことが、様々な人の問題解決に助力できた要因だと思います。
このような体験から「幸せな生き方とは?」「感情とは?」「心理学」に興味を持ち、思想、歴史、人の成り立ち、仏教、西洋哲学、心理学、これらの関連書籍を100冊以上読み漁ってきました。
こうして本で学んだ知識や、独自の体験を元に研究を重ねて、仕事でもプライベートでも関係なく、「笑顔になれる人を増やしたい」と思いながら毎日を過ごしてきました。
私は人を笑顔にしたい
そんな私の知識や体験を活かして「学びで人を笑顔に」
そういう思いでこのブログを設立しました。
役立つ記事があったら、誰かを笑顔にするために使ってください。
あまりにくだらなさ過ぎることや、使えないということで、ネタにして頂けるならそれもまた、アリです。
あなたの笑顔の一助になることを願っています。

最後に
貴重な時間を割いて、最後まで読んでくださりありがとうございます。
私は、まだまだ未熟者ですが、「あなたの笑顔に寄与する」記事が書けるように、邁進していくことをこの場を借りて、お約束いたします。
これからも『Enter(エンター)』を、どうかよろしくお願いいたします。
2021年某日
